ぼっちの「強み」

主人公・八幡は、ぼっち故に周囲にどう思われようとあまり気にしない、というか嫌われるのに慣れきってしまったが故に、問題解決の為の自己犠牲を厭いません。
なので、調子良く文化祭実行委員の仕事を雪ノ下に押し付けている委員長・相模に対して「他人を犠牲にしてラクしようとしている奴ばっかでしょ、この委員会」という発言もできます。
そして「(犠牲になってるのは)例えば俺とか犠牲でしょう……仕事とかチョー押し付けられてるし」と続け、一応は自己中心的なぼやきという体裁をとります。
その結果、委員会で相模の酷い仕事ぶりを見知っている人にとっては、相模を咎めているということはわかるのですが、そういう事情に詳しくない大多数の周囲には「あいつ(八幡)がラクしたいだけだろ」という反感を買います。
ただ、その発言を聞いた雪ノ下は、プリントの裏で忍び(忍べてなかったけど)笑った後、非常に清々しい表情をします。
委員会には、もしそんなことをして場の雰囲気を崩し自分が排除される側になるのは怖いので、体よくサボる相模を表立って非難する人も居ませんでした。葉山も含め。
自分が悪く思われるのに慣れきってしまっている、ぼっちの八幡だからこそ採れる行動でしょう。
逆に言えば「持つ者」として、失う物が多すぎる葉山には、大多数の支持・共感を得ることはできても、雪ノ下を救うことは絶対にできません。